神話というのは、すでに神や古代の人間から与えられたものであり、現在の人間は二次創作でしか制作側に踏み込めない。しかも、それですら神話で規定されている構造や枠組みから抜け出すことはできない。時間や空間を超えれば、大量の異本が発掘できるが、それですら作者は存在しない。作者であることを主張したとたん、それは二次創作になってしまうからだ。単体の神話は単純で安っぽい内容であるが、それ故に異本の集合からエッセンスを取り出し、一つの神話世界を構築することが可能になる。そして神話自体の信憑性は必要ない。神話の中でどんな奇跡が起きても、所与として真実だからだ。
音楽や舞台のように、時間芸術は時間経過の中にのみ存在するというその制約の中で、逆に即興性、要するに思いつきによる表現の広がりを持つ。つまり製作過程そのものに意味がある。ただ、ほとんどの場合、観客は創造する側に回ることができない。
大上段に構えたけど、ここからは具体的で陳腐な内容になるかも。
これら二つは全く逆で相容れないものだが、より進化した形での神話と時間芸術の融合が、ネット掲示板でのリアルタイム体験談であろう。典型的な例が
のなかの「電車」のエピソードではないか。これは数ヶ月にも及ぶ時間芸術でありながら、語り部としての「電車」が、安っぽいリアルタイムの恋愛エピソードを語るなかで、観客が主体として参加できるのである。そして神話としての奇跡性と作者の匿名性が維持されている。これが事実であるかネタ(創作)であるかは詮索を要しない。時系列に並べられた「語り」と観客の参加による状況の変化が、真実であることをあたかも保証しているように偽装されているからである。
リアルタイム体験談の存在は以前から知っていたが、「電車」のように観客の介入がここまで大きいものはなかった。
読者参加型の小説や、リレー小説などは昔からあったが、それは所詮小説という作り事の中であり、ここまで神話の創作過程に踏み入れられるものはなかった。リアルタイム体験談は、上記すべての要素を十分に抽象化して取り込んであるという意味で画期的であり、blogの次にはやりそうな気がする。
Posted by senyo at June 05, 2004 08:29 AM